ウンシュウミカンLINK集
ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)は、ミカン科の常緑低木。またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。
日本の代表的な果物であり、冬になれば炬燵の上にミカンという光景が一般家庭に多く見られる。単に「ミカン」と言う場合も、普通はウンシュウミカンを指す。
バナナのように、素手で容易に果皮をむいて食べることのできる果物である。
甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは「みっかん」と読まれたが、最初の音節が短くなった。「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった中国浙江省の温州のことであるが、イメージから名産地にあやかって付けられたもので関係はないとされる。
欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である。 タンジェリン(Tangerine )・マンダリンオレンジ(Mandarin orange) (学名は共にCitrus reticulata)とは近縁であるが別種である。
* 愛媛県は1970年より34年連続で出荷量1位を守ってきたが、2004年度から4年連続和歌山県が逆転している。その原因として、海岸近くにあるミカンの木が、台風による塩害で枯れてしまったことや、他品種への転換等があげられる。
* ウンシュウミカンは収穫が多い年(表年)と少ない年(裏年)が交互に発生する隔年結果の傾向が顕著なため、統計対比は2年前の統計を対象に行うのが通例となっている。
* 語呂合わせとして「愛は静かに」というのがある。「愛」が愛媛、「は(wa)」が和歌山、「静か」が静岡をそれぞれ表す。
* 2006年度は1963年以来43年ぶりに収穫量が100万トンを下回った。その原因として、開花後の日照不足や、夏季の少雨で果実が十分に成長できなかったことなどがあげられる。皮肉にも、2006年度に出荷されたみかんは平年より甘く美味なものが多かったようである。
* 栽培北限は「最寒月の平均気温が5℃以上」とされている。これまで経済栽培としては神奈川県や千葉県が北限とされていたが[2]、2007年12月に新潟県佐渡島の農家が早生種の「興津早生」など約1トンを出荷し話題となった。
ミカンとして最初に日本に広まったのはキシュウミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが15〜16世紀ごろ紀州有田(現和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得たことでも有名である。また江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したとき、紀州からキシュウミカン(ホンミカン)が献上され、家康が植えたこの木が静岡地方のみかんの起源とされている。
ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」「唐蜜柑」等と呼ばれていたが、種子を生じない性質から武士の世にあっては縁起が悪いとされ、ほとんど栽培されることはなかった。しかし江戸時代後期よりその美味と種なしの利便性から栽培が行われるようになり、明治27年(1894年)頃から生産を増やして徐々にキシュウミカンに取って代わるようになった。「温州蜜柑」との呼称が一般的になったのもこの頃である。
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